御前会議2

もやしと阿呆の口論に足を止め私は期待感に従い2人のやりとりを聞き入った。

「あなたはなぜハロウィンに渋谷にきたのかと聞いてるんだ。」

もやしは言う。

負けじと甲高い声の持ち主も言い返す。

「は!?当たり前でしょ!ハロウィンなんだからここに居るの!!なんでわからないのかさっぱりわからない!ぶつかっただけじゃん!謝ったじゃん!もうほっといて!」

派手な見た目に露出した肌を見せつけ理路整然と阿呆語を弄する。そんな輩にもやしは何かを伝えたい様子だった。

「何度聞いても同じ問答だと質問の意図する物だとかそう言った事が全くもって理解できないのか君は。なるほど。私はぶつかったあなたに大事にしていたライカのカメラを壊されたんだ。質問に答える義務が生じても誰も疑問を抱かないと思う。敢えて問おうなぜ渋谷にいる。」

「だ、だから!カメラとか知らないし!!何!?弁償しろって事!?そんな大事なもんなら家で飾ってなよ!!!私関係ないから!

渋谷にいるのはハロウィンだから!!!何回も言わせないで!?」

輩に一抹の焦りが見える。こう見えて先の事をほんの少しばかり慮る事ができるらしい。もやしの大事なカメラを壊した輩にもやしが一矢報いる構図。なるほど。第三者からしたら実物な訳だ。

「カメラの使用用途を知らないのであればその回答は些か間違いだとは言えないが見るからに25歳は当に超えていてもおかしくない見た目だがいかがな物なのか。

なぜハロウィンに渋谷にいるのかと問いてる。」

もやしは冷静に淡々と相手を曇らせる。どう見ても輩は10代後半か20代前半だ。心理的にフラストレーションを与えている様子からもやし自体かなりの憤りを言葉の奥に潜めている様に伺える。

「は、はぁ!?私21歳だけど!どう言うつもりで言ってんの!?

ハロウィンでみんなで盛り上がるために来てるの!なのにこんなのって本当に最悪!気持ち悪いインキャに絡まれてー」

「ミキー!いたいた!ここにいたんだ!ってあれ…??」

輩が話してる最中、遮る様に2人の阿呆が現れた。どうやら輩の取り巻きの様だ。もやしもこれには狼狽えるかと思いきや表情に一切の曇りなし。行くとこまで行く気である。

斯くいう私も何故もやしがここまで阿呆にこだわるか全くわからなかった。弁償を請求すれば話が早く進み事の終わりも現状よりもスムーズであろう。なのにも関わらずこのギャラリーを背負い輩の取り巻きも参戦一歩も引かずに赤いジャージが燃えろもやしと言わんばかりの異彩を放っていた。

「盛り上がる為に来てる…?理解ができない。自分の心の持ち様を他者を交えてしか完結出来ないという事か?君に自己はないのか?」

輩の助っ人参戦にも臆せず彼の文言は厳しい物となる。

「何言ってるのかわかんないよ!意味不明!!もうイライラする!コイツ!」

ミキは相当に苛々しこの大衆の漫然という事もあり動揺が隠せない様だ。

その後同じ様な問答が続き呆れたのか満足したのかもやしは

「お前の様な人間が物を壊し何も感じず悪戯に命を食べる。悍ましいという言葉がお似合いだな。」

そう言いその場を足早に去った。ギャラリーの人間も呆気ない幕引きになんだよ。殴り合いかと思ったのにとかもっとやれよー!なんて自分本意なシアター気分でポツポツと小言が聞こえた。輩は縋る様に取り巻きと共にもやし同様足早にその場を去った。

 

呆気ない幕引き。本当にそうであったか。彼は何がしたかったのか。知りたい。解りたい。彼は何を思っているのか。そんな感情になすがまま、阿呆が渋谷に向かう様に私はもやしを追いかけた。

 

 

御前会議

私の名前は都々 凛(ととりん)。

この物語の主人公であり、この物語を開幕することも終幕することもできる唯一無二。

この物語が高尚か否かの議論はさておき唯一無二なの。そこだけは理解して欲しく敢えて強調して書いてる。

 

1997年の夏。私は生まれる。3000グラムの肉塊が今や理解し噛み砕き色んな物を操り発信している。生命に対する感謝や慈悲はもちろん備えてるわ。世の中ではそう言った物を道徳と言い

「人であれば-である」

「人への対応への正解はーなのだ」

なんて偉そうに語る。誰が決めたわけでもなく多様性を求められる昨今では何をもって道徳なのか甚だ疑問を抱く。哲学的にだとか理屈がどうだとか語れど語れど陽は落ちるしまた昇る。この議論こそ無駄なのかもしれない。

無駄と言えば私には趣味がある。

阿呆に阿呆と言い売女に売女と言う。そんな趣味だ。状態を表す言葉であるから蔑みの意は勿論込めてなど居ない。私はそう見聞きし状態を整理するために敢えてその単語を弄し相手に伝えている。

ただそう言った事で憤りや不快感を自分に向けられる事がある。先ほど言った趣味とはこの瞬間。この刹那に人間らしさだとか人間の輝きを感じる。心が曇る。色にすると灰色。その瞬間が奥歯のさらに奥がムズムズとする高揚感に襲われる。

即ち私は誠に阿呆である。理解も納得もできる。阿呆なのだ。

人を不愉快にし楽しむ妖怪。笑顔の奥にはどうやってこいつを灰色に染めるかそんな事ばかり考える生粋の阿呆。

阿呆にも阿呆なりのプライドがあり理屈と言う鉄壁で身を纏ってはいるが離れることが多々ある。なのでこうやって日記に記しながら私とはなんぞや。お前は誰だ。と自分に問いかける。

 

私には幸い恋人がいる。友人もいる。仕事をする上での仲間もいる。

私の恋事情なんて聞いても君達のハンカチーフを汚すばかりか自暴自棄になった暴君が犯罪予告後々逮捕なんてされては、せっかくの書き物が台無しなのでここでは控えさせてもらう。

友人の話をしよう。私には気を許す友人、すなわち親友が3人いる。

まず1人。名を千博(ちひろ)と言う。

千博との出会いは忘れもしない2017年のハロウィーン。私が大学2回生の頃合い。

ハロウィーンという単語に惹かれた阿呆どもが渋谷に集い狂喜乱舞する我が国日本が誇る阿呆の為の阿呆だけの阿呆が集うお祭りである。

無論私は、大衆の様な浮かれた仮装をするわけでは無い。阿呆に変装し頭の中がパンプキンカラーな阿呆の脳内を灰色に染めるべく私は馳せ参じたわけである。そこには大義名分がもちろんのごとくあり日本の未来ある若者に社会とはなんぞや、お前とはこうだと日本国を代表し当時世間もイロコイも大して知らない私が教えて回ろうと言う妖怪活動の一種である。

 

ひしめく人々をかき分け阿呆の溜まり場へ向かう道中異様な光景を目にする。

皆が肌を露出し、顔や腕にペイントを施し大騒ぎでハイタッチを繰り広げる中1人だけ真っ赤なジャージ姿のもやしが横断歩道の真ん中で口論をしていた。

(なんのコスプレだ?)

なんて心で浮かばせながら道や人に流されもやしの声量が届く距離まできた。うっすらと聞こえるもやしの声と怒鳴る様な甲高い声。

口論の結末を見届けたく集まる野次馬。タダでさえ烏合の阿呆が集いに集ったお祭りだと言うのにこんな阿呆が居るのかと耳の下がキュッとなる高揚を覚えた。

何か面白い事が起きる。そんな予感がした。嫌予感と言うのはあまりにも非現実すぎる。私は期待したのだ。もやしが何かを引き起こすと。