御前会議

私の名前は都々 凛(ととりん)。

この物語の主人公であり、この物語を開幕することも終幕することもできる唯一無二。

この物語が高尚か否かの議論はさておき唯一無二なの。そこだけは理解して欲しく敢えて強調して書いてる。

 

1997年の夏。私は生まれる。3000グラムの肉塊が今や理解し噛み砕き色んな物を操り発信している。生命に対する感謝や慈悲はもちろん備えてるわ。世の中ではそう言った物を道徳と言い

「人であれば-である」

「人への対応への正解はーなのだ」

なんて偉そうに語る。誰が決めたわけでもなく多様性を求められる昨今では何をもって道徳なのか甚だ疑問を抱く。哲学的にだとか理屈がどうだとか語れど語れど陽は落ちるしまた昇る。この議論こそ無駄なのかもしれない。

無駄と言えば私には趣味がある。

阿呆に阿呆と言い売女に売女と言う。そんな趣味だ。状態を表す言葉であるから蔑みの意は勿論込めてなど居ない。私はそう見聞きし状態を整理するために敢えてその単語を弄し相手に伝えている。

ただそう言った事で憤りや不快感を自分に向けられる事がある。先ほど言った趣味とはこの瞬間。この刹那に人間らしさだとか人間の輝きを感じる。心が曇る。色にすると灰色。その瞬間が奥歯のさらに奥がムズムズとする高揚感に襲われる。

即ち私は誠に阿呆である。理解も納得もできる。阿呆なのだ。

人を不愉快にし楽しむ妖怪。笑顔の奥にはどうやってこいつを灰色に染めるかそんな事ばかり考える生粋の阿呆。

阿呆にも阿呆なりのプライドがあり理屈と言う鉄壁で身を纏ってはいるが離れることが多々ある。なのでこうやって日記に記しながら私とはなんぞや。お前は誰だ。と自分に問いかける。

 

私には幸い恋人がいる。友人もいる。仕事をする上での仲間もいる。

私の恋事情なんて聞いても君達のハンカチーフを汚すばかりか自暴自棄になった暴君が犯罪予告後々逮捕なんてされては、せっかくの書き物が台無しなのでここでは控えさせてもらう。

友人の話をしよう。私には気を許す友人、すなわち親友が3人いる。

まず1人。名を千博(ちひろ)と言う。

千博との出会いは忘れもしない2017年のハロウィーン。私が大学2回生の頃合い。

ハロウィーンという単語に惹かれた阿呆どもが渋谷に集い狂喜乱舞する我が国日本が誇る阿呆の為の阿呆だけの阿呆が集うお祭りである。

無論私は、大衆の様な浮かれた仮装をするわけでは無い。阿呆に変装し頭の中がパンプキンカラーな阿呆の脳内を灰色に染めるべく私は馳せ参じたわけである。そこには大義名分がもちろんのごとくあり日本の未来ある若者に社会とはなんぞや、お前とはこうだと日本国を代表し当時世間もイロコイも大して知らない私が教えて回ろうと言う妖怪活動の一種である。

 

ひしめく人々をかき分け阿呆の溜まり場へ向かう道中異様な光景を目にする。

皆が肌を露出し、顔や腕にペイントを施し大騒ぎでハイタッチを繰り広げる中1人だけ真っ赤なジャージ姿のもやしが横断歩道の真ん中で口論をしていた。

(なんのコスプレだ?)

なんて心で浮かばせながら道や人に流されもやしの声量が届く距離まできた。うっすらと聞こえるもやしの声と怒鳴る様な甲高い声。

口論の結末を見届けたく集まる野次馬。タダでさえ烏合の阿呆が集いに集ったお祭りだと言うのにこんな阿呆が居るのかと耳の下がキュッとなる高揚を覚えた。

何か面白い事が起きる。そんな予感がした。嫌予感と言うのはあまりにも非現実すぎる。私は期待したのだ。もやしが何かを引き起こすと。